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『ENTRE LES MURS(パリ20区、僕たちのクラス)』
2011年05月31日(火) 00:29
このブログ記事を入力している1日前(27日)、ギル・スコット・ヘロンが亡くなったというニュースが飛び込んで来ました。正直、俺自身、この『黒いデュラン』と呼ばれた彼のアルバムをたった1枚しか持っていません。当時まだ学生で、色んな音に対しとにかく触手を伸ばそうと躍起になっていた頃…ある意味ポエトリーリーディングという言葉も、公民権運動や差別に対してもまだまだ未熟だった頃…彼の魅力を十分に理解出来る年齢じゃなかったのかもしれません。

亡くなってから再評価…なんてのは正直俺的には若干申し訳ない気持ちもありますが、なんだか急に彼の作品を改めて遡ってみたい…そんな衝動に駆られています。

Gil Scott Heron R.I.P


っつ〜事で今回は『ENTRE LES MURS(パリ20区、僕たちのクラス)』をご紹介!

カンヌ国際映画祭で最高の賞であるパルム・ドームに輝いた作品っつ〜事でそれなりに期待してみたんですけど、ん〜どうでしょう。凄くこの作品に関しては極私的な意見を前面に押すことになると思いますが、それは人それぞれという事であしからず…正直特筆すべき点は限りなく“ドキュメンタリー”に近い形の映像の中、そこで繰り広げられる出来事・事件全てがリアルに感じれるという点。それは実際にこの作品の主人公である教師フランソア・ベゴドー自らがベストセラーとなった原作を書いている本人である事や、生徒達も素人選抜であるっちゅう事も大きくプラスになってると思う。

ただ、いくつか教室内で勃発する問題の殆どに対し、彼がどう動き、どう考え、どう伝え、どう解決したかという部分がハッキシ言って皆無なのである。つまり、問題を勃発させられ煽られた挙句、いつのまにか自然消滅っつ〜か解決してたっつ〜パターンの連続なんですわ。そうなってくると、14〜15歳のガキが、何故こうもクソ生意気なんだっつ〜部分だけがやけに印象に残り、胸クソ悪くなるだけなんすよ。

確かに、全ての学園モノや教師モノに対し、“金八的” 展開を求めている訳じゃないんだけど、苦悩はするがそこに改善の為の “努力” って部分が著しく欠けてる様にしか俺には見えなかったんですよ俺には。突然反抗的になるアフリカ系の女生徒、自分は何も学んでいないというプレッシャーに押しつぶされそうになっているこれまたアフリカ系女生徒、左肩のタトゥーを見せ、何かとトラブルを巻き起こすこれまたアフリカ系男子生徒、訳ありで転入してきたこれまたアフリカ系男子生徒…フランス・パリでもトラブルメーカーはアフリカ系かい!と思わず突っ込みたくなるような展開は去ることながら、将来は警官になりたいとほざきつつ、事あるごとに悪質なちょっかいを出し、その結果なんらかのトラブルが巻き起こる事を楽しんでる様な女生徒に対し、物凄い嫌悪感まで抱いちゃう自分がいるんですわ。

要はね、確かに14〜15歳なんて時期は俺らもクソ生意気なクソガキが!と大人達には思われてたと思いますよ実際問題。ただね、少なくともさ、“常識” ってヤツや、最低限の “礼儀” ってもんも弁えてましたよ。教師達の会議に生徒代表として参加してた例の将来婦人警官のガキが、意味もなくケラケラ笑い、退室し、お菓子をほおばり頬杖をつく…それに対して「お菓子はやめなさい」と一言だけ注意する校長…なんなんだよパリの教育ってヤツはよ!少なくとも俺らの時にはその場に“お菓子を持ち込む” なんて選択肢自体が頭の中のドコを探してた所で1ミリも存在してなかったっつ〜に!こりゃどうみても根本的にヌルいだろうよ!

それに今こんな鼻息荒く言ったりすると、決まって「時代が違う」だの「国が違えば教育も違う」だの、なんだかんだで今現在のぬるま湯状態を無理矢理正当化しようとするヤツもいるだろうが、果たしてそうか?それでいいんかな?俺は思うけど、昔うんぬん抜きにして当たり前の礼儀や常識を“極論”的にしか捉えられないのなら、それこそ教育なんぞ終わってるわ。それに国が違えばうんぬんなら、俺はこの作品ではどこをとっても1ミリも感動出来んわい!どんなに教師が直面したリアルな問題であろうと、逆に「こんな事起こったらこんな風に流したり処理するしか今の時代はいたしかたありません」って事紹介してるだけみてえだし、結局は問題児の目線におりてって、同じ土俵で感情や言葉をぶつけ合う事すらせず、退学処分を黙って見てるしかねえっつ〜事なんですわ。俺は決して“だったら娯楽的要素をプラスした方がオモロい!” なんて事言いたいんじゃなく、いわゆるこの作品では “問題に直面し、悩み、学んでいる教師” 的な部分を色濃く表現したかったんだろうという部分を強く感じるからこそ、だったらそこに金八要素は必要なんじゃねえかって事な訳だ!つまり、物語の脚色としてでなく、“教育の根本” としてあまりにもドライで、あまりにも自分目線ってのがなんとも冷たく感じたし、明らかに問題があるガキにはそれなりに試行錯誤をして、いかに歩み寄り、いかに引き寄せ、いかに興味を抱かせ、いかに自己啓発につなげてやれるかが教師の仕事なんじゃねえの。ほったらかしだからこそ、あんな大人をナメた様に好き勝手のさばり返るんじゃね〜の?と本気でおもうんだよ。「ほったらかしなんかじゃない」とかなんとか言われても、あんなんほったらかしと同じじゃわい!

丁度俺が同じ年代の頃、冗談でもなんでもなく先生から殴られてた…それは俺が実際クソ生意気だったからに他ならないし、かといって今でもその先公を恨んでるなんて気持ちは1ミリもない。むしろ本気で怒り、本気で殴り、本気でなんとかしてやりたいって気持ちの表れだったんだと思うし、色んな意味でカラダをはって生徒とガチンコを繰り広げてたんだと思う。あの頃の先生達はホントに必死だった筈…なにかにつけて“キレる”という一言で簡単人を殺すスイッチを入れちまう様な今時のサイコなガキなんかよりよっぽど昔の方が“暴力的”だった。だからこそ教師達は自己防衛の為に、必死で向かい合い、必死でナメられまいと努力してたに違いない。だから、クソ生意気なクソガキが山ほどいた時代だったけど、少なくとも教師を“陥れ”たり、明らかに“小馬鹿”にしたりはしなかったんだけどな〜。その分、この作品に出てくるガキ供なんかよりもっと激しくぶつかり合ったり…温度差や時代感で片付けたくないっつ〜のが本音ですわ。

なんだかんだでキッチリと教師に対し言いたい事をいい、それに教師も応えてる…と解釈する人も大勢いると思うが、ガキ供には「だったらもっと敬え!」と思うし、先公には「だったらもっと近づけ」と思う訳ですわ。ぶっちゃけて言いますわ!正直不愉快だったですわ!最後に皆で仲良くサッカーやってる画で終わりっつ〜のがなんともしらけましたわ!なんせこちとら、ガッチガチの昭和の日本人家庭で育ったもんでね!以上です、キャップ!

テテッ!テテテ〜!


『AOKI』
2011年05月26日(木) 00:14
今でこそ、身につけるモノの殆どをStussyで固める俺ですが、やっぱり80年代はそれなりに所謂“HIPHOPブランド”的なアイテムをあれこれと模索していました。ただ、当時は今ほどショップも多くなく、NETで買い物なんか出来ない状態でしょ?だから雑誌などでチェキった商品が欲しくても手に入らないってパターンの方がずっと多い時代でした…特に地方故に。
そんな中、デザインだけじゃなくコンセプトまでも凄く好きだったのが『CONART』でした。

ホントにあの頃は、「見つけたら買え!」が鉄則で、上の写真のKKKのプリントTシャツもたまたま福岡で見つけ(しかも店の中に入ってじゃなく、フリマみたいに並べて売られてた)て即買い。ちなみにこのKKKのTは白も買ったんですが、そっちはもっとウジャウジャとクランの連中がプリントされてます。今じゃあんまり見ない…ってかたま〜に、何故こんな店で!ってな感じで売られてたりして少々残念に思いますが、俺の青春期を語るに欠かせないブランドの一つですわ、ホント!

っつ〜事で今回の作品は『AOKI』をご紹介!

1960年代から70年代にかけてアフロアメリカンを中心に解放闘争運動を繰り広げた自警集団であるブラックパンサー党。そこに幹部として在籍していた “日系人” リチャード・アオキに関して、ボビー・シールをはじめ、当時の党員や彼にゆかりある人物達のインタビューを中心にしたドキュメンタリー作品。

正直言おう、俺の語学力じゃこの作品の持つ魅力といいますか、味といいますか、もっと言えば“意味” というものが半分も理解出来ないのが残念…いつも思うが、ドキュメンタリー作品の中でもインタビューを中心とした構成になっている作品を見る時は必ず「あ〜、俺もデーブ・スペクターみたいに外国語でもウィットにとんだギャグが言える程の語学力があれば…」と悩むのである。

ま、気を取り直して進めさせてもらうが、ブラックパンサー党は当然ご存知の方も多いと思いますが、ウィキなどで調べられたりした事がある人は、その中の『主要な党員』の中に名を連ねている日系の名前の人物を目にされたりしたんじゃないかと思います。それがリチャード・アオキ、このドキュメンタリーの主人公です。

既に2009年3月17日、71歳で亡くなられてますが、その存在意義や結成にいたるプロセス、当然幹部やメンバーを考えれば、そこに “アジア系” の人間がいるという事に凄く違和感を持たれるんじゃないでしょうか。カリフォルニアのオークランド郊外で日本から移民してきた両親から3世として産まれた彼は、第二次大戦中は日系人であるという事を理由に4歳の時にユタにある強制収容所へ。つまり彼自身、早い段階で人種の壁に虐げられ、アメリカという国の差別に直面していた訳ですね。その後戦争が終結すると一家でオークランドへ、アオキは軍に入隊しています…が、ここで既に彼の中に存在していたイデオロギーが炸裂!といいますか、とにかくベトナム戦争に大反対し、軍を除隊になっちゃうんですよ。ただ、その後オークランドの大学に入った際、そこで後のブラックパンサー党の設立メンバーでもあるヒューイ・ニュートンとボビー・シール達と知り合うという人生において大きな出会いがあった訳です。それにオークランドというトコは工業都市でもあり、いわゆる南部のアフロアメリカン達が職を求めて大勢移住してきた街でもあるので、特にそういった“差別を直視”する機会も多かったのかもしんないし、それよって芽生えたり更に色濃くなったりした部分も彼の中では大きかったんじゃないかと推測出来ます。

実際パンサー党にいたアジア系のメンバーは彼だけじゃなかったらしいんですが、その中でもフィールド・マーシャルという “役職” についているのは彼だけだったんです。それはきっと軍に在籍し、武器等にも精通していたし、ヒューイやボビーと親しかったという事もあり、お互いが持つ目標や希望、または不満や鬱憤等様々な議論を交わし、認め合っていったんじゃないかなと思います。

マリオの作品『パンサー』でもちょいと描かれておりましたが、彼自身もやっぱ “毛”やマルクス・レーニンといった人物の理論に大きな影響を受けた様で、パンサー党員の意識向上や革命に必要な知識等に関して、党員達とディスカッションを繰り広げていた様です。差別という不条理に直面し、人権的だけでなく精神的にも肉体的にもダメージを受けていたアフロアメリカン達が、どちらかといえば鼻息荒く「やったるで!」と入党を希望していた中、そういった人々に“意味や意義”を問い、組織力を強化していた事は、武器の調達や実演といったハード面だけでなく、ソフト面でもパンサー党の拡大に大きく貢献していたんじゃないかなと思います。

彼の“闘争”はパンサー党だけでは終わらなかったんですね。彼はその他にもアジア系アメリカ人政治連盟(Asian American Politic Alliance)という学生運動組織にも所属し、第三世界解放戦線のストライキなどでもリーダーとして活躍しました。

彼自身、その先頭にたっていた事も勿論ですが、バークレーはかなり学生運動も活発なリベラルタウンだった様で、やっぱり色んな意味で環境が人を作るといいますか、彼が何故日系人でありながらアフロアメリカン主体のパンサー党に入っていったか、またその後も学生運動等積極的に参加し、とことん活動家としての主張を貫き通そうとしたか…そんな理由も長い歴史から見ればなんとなく解る気がします。

歌舞伎役者がその家に生まれたときから将来歌舞伎役者になる…なんて事とは違い、自らの意思で、自らの尊厳の為に、自らの道を進む事になるという運命、そんな重みを感じさせてくれた作品でした。


『LOST IN THE GAME』
2011年05月23日(月) 00:09
HIPHOPカルチャーってのは様々な分野に影響を与えてますが、“フィギュア”なんつ〜物も例外じゃ〜ございやせん!ま、RUN DMCやマスターP、ビギーや2PACなんて実在のラッパーを模したフィギュアも数多く存在しておりますが、これら香港のアーティストもそんな雰囲気バリバリ…もちろんB-BOYにも支持されてますよね〜。エリック・ソウにマイケル・ラウ、一時期は俺もよく集めたものです。

でも個人的に“”個人的にはコレ“ジェイソン・シュウ”。

でもね…同じく個人的に大好きな鉄人兄弟のフィギュア同様、“高額”なんだよね〜!高ぇんだよコレが!なもんでオススメという割には俺、一体も持ってませんけどねwww。皆さんもどうっすか?フィギュアなんてオタク〜!とか言ってる場合じゃないっすよ!

っつ〜事で今回は久しぶりにドッチラケ方面の作品行ってみたいと思います!『LOST IN THE GAME』ですわ…。

ま、以前何度も言ってきた様に、俺がガッツリとHIPHOPに漬かる大きなキッカケとなったのは映画『(ブレイクダンス)』だった訳ですが、あの作品は舞台が西海岸だったので、おのずと音の方も結構西から入った様な気がします。そうです、当時の西っつったら当然N.W.Aですわな!ドラッグディーラーとしてシノギを削ってたエリック・ライトさんがドープデュールにより儲けた金でレーベル『ルースレスレコード』を立ち上げ、MC・レン、DJ・イェラ、アラビアン・プリンス、クレイジー・ディ、アイス・キューブ、ドクター・ドレー、ザ・D.O.Cらと共に『N.W.A. and the Posse』でデビュー。その後の栄枯盛衰は皆さんもご存知のところですが、そんなParental Advisoryでありつつ、ホワイトハウスに招待までされた彼等は、ホントのトコ何がどうなってああなっちまったのか…そんな事をMC RENが振り返りながら赤裸々に語ってくれる…

…なんて思ってこれ見た人、はたまた俺みたいに購入した人、絶対おるわな…
…そしてその人達は苦虫を噛み潰した様な表情で、涙に枕を濡らしたわな…
…そして何度も何度もタイトルと解説を読み直し、お人よしで無垢な自分を恨んだわな…

そうじゃわい!じぇんじぇん違うんだわさよ!ぬあぬにいいがああN.W.Aじゃあああ!

「キネマ旬報社」データベースではこう表現してありますわ…
Dr.DRE、ICE CUBE、EAZY-Eなどが所属し、“ギャングスタ・ラップ”というジャンルを築いたヒップホップ集団・N.W.Aの実像に迫るドキュメンタリー。その一員であったMC RENが、長年見つめてきたヒップホップビジネスの光と影をリアルに描き出す。

くううおおおおらあああ〜!キネマ旬報社ともあろうもんがああああああ!

ああそうさ、確かに俺だってホントの事言えば、嫌な予感はバリッバリあったさ。だって考えてみ?何故故にMC RENがんな事やる?確かに続々と大物が後ろ足で砂を掛ける様にEAZY-Eから離れていった中、『Ruthless For Life』ってなアナログまで出す忠誠心を最後まで貫いたMC RENならそれもありかなと思うじゃない!彼だからこそ、語れる何かがあるんじゃないかと淡い期待も持つじゃない!だって俺好きなんだもんよ!クソオゲレツなタイトルの『Kizz My Black Azz 』も、さわやかな朝でも一気にダークサイドにしてしまう様な『Shock Of The Hour』も、DOPEかつクソメロウな『The Villain In Black』も好きだもんよ!だったら騙されてもいいじゃない!

でもやっぱ腹立つんだよ、彼にじゃない、このタイトルと解説にだよ!

まずさ、ドキュメンタリーでもなんでもないよ!俺が一時期アホみたいに見まくってたレンタルショップに月イチペースで並んでた、訳解んないC〜D級のギャングスタムービー…いや、ギャングスタオリジナルDVD!あんな感じの超チープな作品なんだわさ!N.W.Aなんぞ全く関係ないっつ〜に!そりゃそうさ、ドレもキューブもヤバい事やめんどくさい事に首縦に振る訳ぁね〜し、だったらむやみやたらに映像や音源なんぞ使えないだろうし…ってかまずもってこの作品ってのは本来そんな意味合いを持ってる物ではなく、日本で売り出す際に購買意欲に繋がる様なインパクトを与える為に「こっちの方がいいんでねえの?」的にメガトン級に脚色された解説だったっつ〜事ですわ。そりゃさ、嫌いじゃないぜ、ヤらしいシーンはwww。でもさ、こうも脈略もクソも無い中にそんなシーンがブチこまれても興奮もクソもないっつ〜に!その前に余計ゲンアリ度を増してくれてる様な気がしてなんないんだよ!

なんだかさ、こういった“業界の裏側” 的部分をエグる様なストーリーの“黒的作品” って正直ロクなヤツないね!どれもコレも似た様なヤツだし、似た様にオモロくないっつ〜か。低予算でもそんな事忘れちまう位の作品って中にはあるでしょ?ところがホンットに黒的ギャングスタ作品って少ね〜よな〜ホント。例えば『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』なんてドがつくインディ色バリッバリの作品で、モロに荒削りな感じだったけど、やっぱくるものあったでしょ?そこいくと最近はたんなるチープなだけっつ〜か…トホホな訳ですよおおおおお!

ただ、俺は見た!見てない人は見てから思い切り愚痴たれればいいと思いますwww。それにね、俺はRENの男気ってヤツが好きだし、そんな彼が出てる作品ってだけで、当然無視は出来ない運命にある訳ですわ!だから俺はね、ファンとしてしこたま悪口を言える訳!

あ〜居酒屋で話したいわ…コレに関してwww


『DANCE FLICK(最強絶叫ダンス計画)』
2011年05月19日(木) 00:54
最近じゃクラブだけでなく個人宅でも勢力をグングン伸ばしてる『CDJ』ですが、実は俺もターンテーブルとは別にCDJを2台持ってまして…ほぼ電源を入れる事もないんですが…コレ
“Pioneer CDJ-500 II Limited”


そうです、所謂CDJという代物がこの世に出て、そう経たない段階で購入!でも金額は今のCDJと変わらぬ10万オーバーという大変贅沢なもんでした…しかもスクラッチなんぞでけまへん!それでも当時は随分と重宝したもんです。

今のCDJってガッシガシスクラッチ出来たりするといった機能面だけじゃなく、ルックスもえれ〜カッコいいっしょ?時代だよね〜なんて思いつつ、せめて俺らみたいなオールドスクーラーの願いとして、レコード針の生産終了なんて悲しいニュースが飛び込んでこない事を祈る毎日で御座います。


っつ〜事で今回の作品は『DANCE FLICK(最強絶叫ダンス計画)』をご紹介!

バレリーナを目指してるミーガンは、事故で母親を亡くし、そのショックから踊る事を諦めてしまう。父親の元に移り、地元の高校へ転入した彼女は、ダンスの授業やHIPHOPダンスが上手いトーマスと触れ合う内に、再びダンスへの情熱が戻ってくるが…

こんな感じで簡単なストーリー説明すると、青春ダンスムービーみたいだよね〜…ってか全然違うんだよ、勿論!

とりあえず一段楽した感も満載だったウェイアンズ兄弟の『最強…計画』シリーズ。もう十分お腹いっぱい状態だったので、随分とリリース後も慌てることなくゆったりとしてましたが…いやはや、やっぱりこのシリーズってのはオモロいねホント!勿論、万人受けするってモンじゃ無い事は確かなんだけど、ゴシップ、シモネタ、人種差別、パクリと、とにかく“面白けりゃなんでもあり”的なスタンスが潔いというかさ!

ベースは 『セイブ・ザ・ラストダンス』 だと思いますが、このシリーズの専売特許でもあるあらゆる作品のパクリを存分に見せてくれてます。っつ〜か、個々最近のダンス関連作品はほぼパクってますね〜。スタートやラストはモロに『ユー・ガット・サーブト』だし、キャラも一目瞭然の『ヘアスプレー』、ちょいと『ロールバウンス』なんかも見れ〜の、『ハイスクール・ミュージカル』的要素も含み〜の、おっと『フェイム』も忘れずに、『レイ』はレイでもオバカなレイで、なつかしの『フットルース』も!『ステップ・アップ』に『ダンス・レボリューション』、春苺姉さんの『キャット・ウーマン』、それに事故起こす車のナンバーは『リンジー』&『ヒルトン』だべ?ダンスバトルのバックスピンでヘリコプターみたく飛んでっちゃうし、ヘッドスピンじゃドリルみたいに潜ってっちゃって水湧き出る始末。妊婦はそのでっけえ腹支点にクルクル回ってフリーズと同時にブリ〜ンと出産!生まれたての胎児もポーズ決め込むしさ、もうムチャクチャなんだけど、やっぱおっかしいんですよね〜!

それから、これまでこのシリーズといったらキーネンさんとマーロンさんだった訳ですが、今回の監督はダミアン・ダンテ・ウェイアンズ、んでもって主演級のトーマスを演じたのがデイモン・ウェイアンズの息子であるデイモン・ウェイアンズJr …劇中、「白人のせいで黒人俳優の枠は限られてる!その枠もウェイアンズ兄弟が独占してる!」というセリフなんかもあり、思わず笑っちゃったんだけど、ホンットにこの俳優家族は一体どんだけ秘密兵器おんねん!ってな位、兄弟親族ウジャウジャおりますわな〜。この作品にも彼らは勿論、クレイグ、マーロン、キム、ショーンとこれでもかと親族総出演状態!ただ、残念な事に、笑いに長けてるこのファミリーですが、今回のデイモン・ウェイアンズJr.に関してはイマイチこの系統を継いで無い感が強かったといいますか。笑わせ処は十分与えられているにも関わらず、イマイチそのキャラも弱く、所謂そこそこ整ったルックスって奴もマイナスに働いちゃってるというか…要するにコメディ向きじゃないんですよね残念なことに。

そこ行くと、やっぱこのシリーズはホンットに毎回 “女性陣” がよ〜頑張ってるなと!主演のショシャーナ・ブッシュも、お世辞にも“バレリーナ”体系とは言えない中、踊ったり殴られたり、はたまた“アフロアメリカン”に変身しちゃったり、ポールダンスでセクシーな姿見せてくれちゃったりと、ホンットに頑張ってるな〜と思いましたね〜。個人的にもギッスギスのダンサー体系よりも、やっぱムッチムチの彼女みたいな方が萌え度は高い訳ですし!子持ちの高校生 “チャリティ(笑)”を演じてたエッセンス・アトキンスもよかったね〜!キーネンさんとの掛け合いも、チビッコを間に挟んでまぁ〜オモロだったし、個人的にはエディーマーフィーもビックリな超ファットなキャラ“シュガーベア”を演じてたデヴィッド・アラン・グリアのラストシーンでのブレイキンには笑った笑った!そういや彼、『最凶赤ちゃん計画』にも出てたよね。

先にも述べた様に、シリーズとしてはある意味 “ひと段落感” があるのは、決してお約束的なギャグを連発するスタイルに対してそろそろ “飽き” が来るという意味ではなく、ある意味 “定番化” してるんじゃないかなと思うんです。実際その部分が“マンネリ”と感じる人もいると思うし、それどころかオゲレツなネタにゲンナリしちゃう人もいるかもしんない。けど、ある意味無条件にカンフー映画を好きである様に、こういった感じの作品って、野郎だけでなくても無条件にオモロい!と思える人も大勢いると思います。ま、特にアフロアメリカンが造ってる訳だから、彼らならではの視点や嗜好なんてのも至る所から感じ取る事が出来るシリーズでもあると思うし、ま、結局笑っちゃうんですよね、ホントに。




『EMMANUEL'S GIFT(エマニュエルの贈り物)』
2011年05月15日(日) 00:05
こないだちょいとばかしブラックムービーに関する“書籍”を紹介しましたよね。ま、当然のごとくマスト中のマストなんですが、ブラックムービー関連の書籍といえばもう一つ、これも外せないですよね。なもんでこれまた皆さんも持ってらっしゃる方も多いと思いますけど…
『ソウル・オブ・ブラック・ムービー―’70sブラックスプロイテーション、オリジナル・サウンド・トラック&ポスター・アートワークス』


『ブラック・ムービー : アメリカ映画と黒人社会 井上一馬著』 がポケットサイズでありながらも結構しっかりした“読みモノ”だとすれば、こっちは色鮮やかに“目で楽しむ”本。ブラックスプロイテーションムービーのポスターアートを中心に、オリジナル版だけでなく思わず笑っちゃう様な日本版まで!他にも何ともファンキーな当時のサントラのジャケなんかも多数掲載してます。俺はこの本、実は2冊購入しました…というのも1冊はチョッキンチョッキン切り取ったりしちゃったもんでして…www。持ってらっしゃらない方は、是非、amazonへ急げ!

っつ〜事で今回の作品は『EMMANUEL'S GIFT(エマニュエルの贈り物)』をご紹介!

ポリオワクチンといった医薬品の不足が影響し、全人口の10%になんらかの身体障害がある国、ガーナ。右足に障害を抱えたエマニュエルは、母親から受けた愛情を武器に自転車によるガーナ1週や、トライアスロン朝鮮といった夢を抱く…

ちょいと話が映画からズレてしまうかもなんですが、毎年夏になると放送される24時間TV、いわゆるチャリティー番組がありますよね。毎年の事ですが、俺のどこかに必ずヨコシマな考えがあり、チャリティーパーソナリティーとか言ってっけど、ギャラ発生してんだろ?とか、100km走るっつったって、タダじゃないんだろ?とか…つまり、完全なチャリティーとは到底言えないわな!なんて事考えながら見てたりするんです。ま、んなこた置いといて、基本的に仕事の都合上なかなかしっかりと見る事が出来ないんですが、なんだかんだ言って肉体的にハンデを持っている方々の様々なチャンレンジや、俺がまだ知らない様な難病などに苦みつつ、しっかりと “生きる” 事に向き合ってる方々のパワーを受け取る事が出来る番組として、結構楽しみにしてるんですよね。

日本は以前よりずっと障害者の方々にとって “住みやすい” 国だと思います。勿論、健常者にはわからない苦労や苦難、不満や不安も当然ある事とは思いますが、医療や雇用に対する援助等もあり、身障者という理由で 全ての “道” を閉ざされているという事は無いですよね。ところがこの作品の舞台であるガーナは、身障者として生まれてきた段階で、ほぼ夢や希望、生きる“道”が既に閉ざされてしまってると言っても過言ではない状況がREALに存在します。

ガーナで生まれる子供達の身障者率の異常な高さは、感染病やそれに対する医療制度の低さから必然的に発生するもので、しかもその後の改善的政策などもない。結果、そうして生まれてきた子供達は、何の援助もないまま悲惨な状況に追いやられる訳です。お国柄なんて言葉が適当ではないけど、“呪われた者” 的な扱いを受け、捨てられたり、物乞いになったり…日本では考えられないでしょ?

人間ってのはどうしても欲張りで、100を望んでも結果5位しか満たされない…となると、「ちぇっ、5なんて無意味じゃね〜かよ!」と5を放棄し、0を選択してしまいがちだと思いませんか?でもこの作品の主人公であるエマニュエルは5どころかたった1に対してもプライドを持っていたと思う。茶碗の前に座ってその茶碗に金が投げ込まれるのを待つのではなく、靴磨きを “職” として稼いだ。そして様々な人々の心を動かした…それは海を越えてアメリカまで。

結果的に様々な “援助” があっての彼である事は間違いない。けれども、人から哀れみの対象として “金を恵んでもらう” のも援助なら、目標・目的の為に自ら動き、働きかけ、それを理解してもら事で得ることが出来るのも援助…その意識や過程、プライドで、その後の存在価値や人生が大きく変わるという事、そしていかにそれがガーナという国では特異であり、尚且つ勇気や努力がハンパなく必要であるかという事を痛感させられる作品でした。

一言で言ってしまえば簡単だが、そこには『諦めるか、這い上がるか』という2つの選択があり、大よその人々は諦めるというよりも選択する意識すら持てないんだと思う。エマニュエルは、物凄く困難な事を始めた訳でもなく、物凄く無鉄砲な行動に走った訳でもない。ただ誰もが諦め、考えもしなかった事に対して、背を向けなかっただけ…チャンリンコで日本1週した人なんて結構いるだろう、けど、片足でガーナ1週しようなんて思ったのは彼くらいだったのかもしれない。日本の身障者の方でトライアスロンに挑戦している方も沢山いると思う。けど、その中で捨てられるか、物乞いになるかといった岐路に立った人はいないだろう…。大事なのは、思ったり願ったりする事を具現化するための努力なんすよね。それが一番困難で一番無鉄砲さが必要なんじゃないかなと思うんです。だからこそ、彼の願いや努力はアメリカにまで届いたんだから。

それから、もう一つこの作品の大きな“軸”となっているのが “母親” という存在。最近じゃ自分の子供の命を母親自らが絶ってしまうクソみたいなニュースが多いじゃないっすか。しかも五体満足で健康だったチビッコを、自分の欲や我侭の為にいとも簡単に命を奪う…それも親が…。ただでさえ巨大すぎるハンデを抱えて生まれてきた子供に対し、“呪われた子” などとありえない矛先に対し責任転嫁して現実逃避するのではなく、キッチリと向き合い、そして親としての責任を “必要最小限の環境の中で必要最大限” 果たす。 彼が決して腐らず、卑屈にならず、自分を呪わず、ハンパないポジティヴ魂を炸裂させることが出来る “強い人間” でいれたのも、彼の母親の存在が大きい。それほど母親が子供とどう向き合い、どう共に過ごし考え、どう導いていくかによって子供達の行く末はどっちにでも転がると思う。37歳という短い人生の中で彼の母親はキッチリと愛情と誇り、希望と意志を教えこんだんだと思う。

ドキュメンタリーは本当にハンパない…だって事実なんだから。企画された挑戦でもなく、お膳立てされた努力でもない、そこにはどん底から1ミリずつでも前に進もうとするREALな人間の姿があるだけ。もうね、マジで泣けてくるからホントに。スゲエな…俺がその立場だったらどうしただろう…俺じゃ出来ねえだろうな…スゲエよホント…って何度も何度も思うから。ただ、それだけじゃなく。俺なんかね、マジでヤフーショッピングでチャリンコいいヤツないかな〜なんて探してたりしたんだから!ホントだぜ!映画ってのはホントに色んな影響やキッカケを与えてくれるもんだけど、こうも物凄ぇ現実を突きつけられると、五体満足でふんぞり返っている自分がなんだか恥ずかしくさえ思えてくる。色んな意味で刺激的で感動的な作品だと思います。

ポジティヴ魂は連動する…彼の切り開いた道は今後更に大きくなり、その道を沢山の子供たちが通る事になるであろうと祈りたい。



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